一般社団法人機動隊員等を励ます会

警備活動のあゆみ

昭和40年代後半

 昭和40年代後半は当会設立のきっかけともなったように、各地の学園紛争等極左暴力集団による激しい武装闘争が繰り広げられ、その上、「あさま山荘事件」や「三菱重工ビル爆破事件」に見られるような、銃器、爆弾を使用した凶悪な事件が続発し、治安維持のため機動隊員の集団警備力が果した役割は極めて大きいものでした。また、その体を張った危険な任務の中で、尊い殉職者と多数の負傷者を出したことは、国民の記憶から薄れることのない痛ましい出来事でした。

 

 

昭和50年代

 西側諸国のモスクワオリンピックボイコット等、東西冷戦構造は継続していましたが、過激派の闘争自体は彼等にとっても犠牲の大きい街頭集団闘争方式から、飛翔弾による重要施設攻撃方法等へ変化が徐々に進み、警備活動も、事前予防のための不審施設チェック等地道で労力を費やす活動が増加してきました。一方、昭和54年の第1回、61年の第2回東京サミットと、各国要人の来日警護警備事案が激増し、機動隊の持てる集団警備力という本来機能がこの方面で発揮された時代でした。

 

 

昭和末期~平成初期

 第二次大戦後長く続いた冷戦構造が完全に崩壊し、新たな国際秩序の構築が推進され、我が国内においてもイデオロギーに基づく極左過激派集団の闘争も大義を失ったかたちになり、彼等は地下に潜伏し、油断は禁物ながらも、表面的には沈静化の方向に向かい、世間の耳目をそばだてるような大規模集団警備活動は減少しました。

 

 

現 代

 平成13年の「9.11アメリカ同時多発テロ事件」はアメリカ政権による「アフガン侵攻」「イラク戦争」へと繋がり、イスラム諸国のアメリカに対する反撥の高まりから、その同盟国と目されている我が国までが国際テロ組織によるテロ攻撃の危険に曝される事態を招来し、北朝鮮の存在も一段と深刻な問題になりました。一方、我が国内の治安の悪化が目立ち、外国人犯罪と少年犯罪の増加が顕著ですが、全警察を挙げての治安再生の動きの中で、全国の機動隊員は本来の警備業務以外にも繁華街における集団警ら、暴力団対策、暴走族取り締まり、テロ事前予防活動等に従事し、我々市民の身近で多角的に広範囲な活動を展開するようになりました。
外国要人来日による大規模集団警備は、首都圏のみならず全国に広がり、サミットやAPEC、東京オリンピック・パラリンピック等の事案の経験により、全国道府県警察本部機動隊の集団警備力も一層の向上を果たしています。

 

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